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集団が基本で助け合う日本人 2024.6.7

  • 執筆者の写真: 儘
  • 2024年6月7日
  • 読了時間: 2分

MrFUJIさんという方、ご存知でしょうか。youtuberで「MrFUJI from Japan《目指せ》トリリンガル」を発信している方です。



ご自身、日本語と英語とスペイン語を使いこなし、多くの言語を使いこなす仲間と共に、日本と世界の文化の違いを発信しています。お互いの文化の違いについて発信する際大事なのは、お互いにリスペクトの気持ちがある事、というのが大事だな~とつくずく思います。

発信者の1人Mr.Fujiさんが、日本人とは、を考えてみたときに、0から1を作り出すのは苦手だけれど、1を100にする力に優れている、と仰っておられます。欧米人は個人を大切にしていて、常に自分対他者でありながら、相手の成長にエールを送る文化、日本は考える基本が「集団」であって、個人の目標達成ではなく、所属する集団の目標達成のために助け合う文化ということに言及していました。


他者を蹴落として、自分が上にいると思うことより、お互いをリスペクトしあうことが私の性にしっくりきます。

誰かの痛みを一緒に背負う、同時に自分の負担を軽くすることも考える、そのバランスがとれてこそ、安定する、というものです。

私は、「さざなみ」という名目で、手話カフェ会、難聴と難病を併せ持つ方とご家族の集まれる場所「なんでの会」、手話での街歩きガイド「BMSS」を企画・運営しています。すべてボランティアで、経済的利益は何もないんです。でも、何故続けているかというと、そういう場所を求めている人がいるから、が一番の理由です。参加者の方からは「企画してくれてありがとう」「なぜそこまで頑張れるの?」など、のお声が聞かれます。はたから見れば「他の人のために自分の時間を犠牲にして頑張っている」と映るのかもしれません。けれど、もしかしたら、日本人としての性質なのかもしれません。周りの求めに応じる、的な。「他の人のため」というのはありますが、その中にはいつも「自分にとって居心地がよい」ということもあるわけです。助けているようで、助けられている。日本人の考え方は集団が基本、はあるかもしれませんが、とはいえ、みんなが右に倣え、ということではありません。それぞれが自分らしく生きることは木ッと助け合って生きるに繋がります。それが一番大切、と思います。

 
 
 

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